パンジャ・レコードが送る復刻シリーズ #ジャマイカンビート歌謡第3弾〜クラウン・レコード編〜
日本初のディスコティック“ゆき・ア・ゴーゴー”中川ゆき「東京スカ娘」。
ミリー・スモール「マイボーイロリポップ」世界的大ヒット直後の1964年に発売された初の和スカ。解き明かされる、親子の物語。
A:中川ゆき / 東京スカ娘
ダンサーで東宝女優の中川ゆき。父は「日本ディスコの産みの親」中川三郎。三郎はレコード会社とタイアップし、ほぼありとあらゆる「ニューリズムの踊り方」を公式に発表。(NHK 朝ドラ 「ブギウギ」にトップタップダンサーとして登場)「東洋のジャズ王」と呼ばれ、各地のダンスホールでステップを教授。後に日本初のディスコを恵比寿にオープン、娘の中川ゆきがオーナーだった事から「ゆき・ア・ゴー・ゴー」と呼ばれる。ゴーゴーガールとバンドが盛況で、新宿、有楽町、横浜に店舗を展開。そしてスカも歌い踊った。ジャケット後方の写真は日本で最初に踏まれたスカのステップ。ミリー・スモールを可憐に踏襲している。父、三郎もまた、 1964 年に帯付きで発売された国内最初のスカ紹介盤 LP「ジャマイカ・スカ」の裏ジャケで、スカの曲と踊りを解説。単に初のオリジナル和物スカで括る訳にはいかない。日本ダンスホール・カルチャーのリアルファンデーション。ディスコの現場はこの親子から始まった。
AA:黒田ゆかり / スカで踊ろう
B 面も最高峰クラスのピークに到達。クラウン・オーケストラ演奏、星野哲郎作詞の「スカで踊ろう」もっと再評価されるべき最初期日本語スカ。梅木マリ「マイボーイ・ロリーポップ」中川ゆき 「東京スカ娘」を並べ時代を代表するトップ 3。1964 年作品。当時ミリー・スモールと合わせ昭和ダンスホールでプレイされていた。
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